長崎県・波佐見焼
第二話
400年つづく 手工業が生み出す、 日用の美。 幸せな手触り。
伊万里、有田といった有名なブランド産地に隠れ、
その名はずっと知られないながらも、
約400年、暮らしのなかで使われる器をつくってきた土地。
産地表記を明確にする前は、「有田焼」と総称して
販売されていながら、有田とはちがうもののつくり方を育み、
たくましく生きてきた。
長崎県東彼杵郡の北部に位置する波佐見町は、
町を歩くと、どこか優しい空気が流れている気がした。
江戸時代に、産業革命の始まりとも思えるような
量産の仕組みを山あいの郷で構築したこの土地の窯業は、
良質な陶石が天草で採れるようになると、川を下り他の郷にも広がった。
それが地場産業として根を張り、世代を越えて受け継がれ、
今もこのまちでは約2,000人が窯業に携わり、
日用食器では全国第2位のシェアを誇るという。
とはいえ、何百人も働いていそうな大きな工場の建屋は見あたらない。
この土地の陶磁器商社の人に案内してもらって、
やきものづくりのプロセスを担う工房を見て回ることで、
少しずつ、やっと、わかってきたことがあった。
この町は、町全体が
ひとつの工場だ。
量産するための型をつくる人、生地を成形する人、筆で絵付けをする人、
針のような細い口金から顔料を絞り出して模様を描く人、
生地に櫛目を手彫りする人、釉薬に器をくぐらせる人、
「皿板」と呼ぶ長い板にたくさんの器をのせて運ぶ人、
一つひとつ丁寧に窯積みして焼き上げる人、
そして彼らが使う道具をつくる人まで。
この町にはプロフェッショナルな職工たちがあちこちに点在していた。
一人の名工の世界観でつくりあげるのではなく、
一つの会社がぜんぶを一つの工場で一貫生産するのでもない、
自立と協業のものづくり。機械を取り入れながらも、
この町の器づくりは、今も多くの人の手が入る手工業。
離れた場所でそれぞれが自分の工程に向き合いながらも、
彼らは互いに意識し合い、感覚的にシンクロしている。
たくさんの人の手仕事をめぐりながら、一つの器が輝き出す。
日用の美しい器たちは、こんなふうに生まれる。
幸せな手触りが、私たち使い手に届く。