滋賀県・琵琶湖の真珠
第一話
休みなく循環しながら 440万年。 古代から続く、 豊かな水たまり。
湖は、地球のくぼみにできた、大小さまざまな水たまりだ。
そのほとんどが1万年ほどで消えてしまう。
けれども、まれに驚くほど長く生きる湖もある。
そのひとつが、琵琶湖。日本で最も大きな、淡水の湖だ。
琵琶湖のルーツは、約440万年前。大地震で陥没した地面に、水がたまってできあがったとみられる。
当時の場所は、現在よりもさらに南の伊賀上野地域。メタセコイアの森に囲まれた温暖な湿地帯で、ゾウやサイが暮らし、湖水のなかではワニが泳いでいたらしい。
320万年前に大陸と日本列島が切り離されると、現在の滋賀から三重にかかるあたりに移動した。
そのあとの280万年間弱で、湖は劇的な変化を遂げた。広大な水辺が消えて沼や川にかわったかと思うと、今の琵琶湖の南半分あたりに出現する、といった具合。気候が寒冷化するとメタセコイアの森が消え、湖は北へ大きく広がって、およそ40万年前に現在の形になった。
琵琶湖は、いまも刻々と北上していて、遠い未来には日本海につながると見られている。
普通、湖の一生は1万年ほどで干上がって終わる。
けれども琵琶湖は、消えることがなかった。どうしてだろう。
琵琶湖ではいまも地殻変動が続き、湖が更新されているからだ。
気候変動や生態系の変化をともないながら、湖は更新され、循環する。
小さな循環が集まり、関わり合いながら、大きな循環になる。
大きな循環を小さな循環が支えている。
琵琶湖の440万年は、循環の歴史でもある。
TOPIC
世界でも珍しい、古代湖のひとつ。
10万年以上の歴史をもち、固有種のいる湖を「古代湖」と呼びます。琵琶湖は世界でも20ほどしかない「古代湖」のひとつ。しかも440万年前に起源をもつ、奇跡の古代湖です。これほど長く存在できた理由は、地殻変動。通常の湖は数千年〜数万年たつと浅くなり、水が濁って湿地に変わってしまいます。 琵琶湖は、地殻変動のおかげで現在も年に1ミリずつ沈んでおり、たくさんの川が新鮮な水を運んでくれるので、常にフレッシュなのです。
TOPIC
ずーっとお世話になっていました。
ヒトが琵琶湖周辺で暮らし始めたのは、2万6000年ほど前、後期旧石器時代から。以来ずっと営みが続けられてきました。つまりそれほどまでに、琵琶湖の恵みが豊かだったということ。 琵琶湖の水中には、100余りの遺跡が眠っています。水位の上昇や地殻変動で水中に沈んだ、縄文時代から江戸時代までの遺物です。釣りをしていた漁師が土器を引き上げたり、漁網に縄文土器がかかったり。木簡や社殿跡も見つかっています。
大きな循環では、「琵琶湖の深呼吸」が興味深い。ほぼ毎年一回、琵琶湖が貯える275億トンの水が循環する自然現象だ。
真冬になると、表面付近の水が冷却されて湖水に沈む。これをきっかけに対流がおきて、湖水は大きく循環し、まんべんなく混じり合う。
酸素をたっぷりと含んだ表層の水が湖底に届くと、イサザやエビ、イケチョウガイといった、湖底の生きものが生きやすくなる。人間が深呼吸をして酸素をとりこむように、琵琶湖も酸素を吸い込み、息をふきかえすのだ。
TOPIC
川がつなげる、さまざまな営み。
琵琶湖は、1000メートル級の山々に囲まれたくぼみにあります。 四方八方の山から湧き出した水が117本の一級河川となって流れ込み、琵琶湖のくぼみを満たします。琵琶湖から水が出ていくのは、瀬田川と琵琶湖疎水の2本だけ。だから、たっぷりとうるおっています。 琵琶湖の水量は、275億立方メートル。これが近畿圏の水道水に使われて、人口1450万人の生活を支えています。また、117本ある一級河川のひとつひとつも、たくさんの生命と暮らしを支えています。山奥の水源では動物たちが喉をうるおし、川魚が清流を横切る。人里近くでは茶畑が広がり、台所に水路をひいている地域もあります。さらに下ると造り酒屋や染織工場が水を頼り、河口近くではカヌーイストが集い、湖魚を求める野鳥の姿も見られます。
TOPIC
内湖は、琵琶湖の子どもたち。
琵琶湖の周りには、いくつかの小さな湖があります。里芋についた小芋のように、琵琶湖の周りに点在し、水路や川でへその緒のように結ばれています。これが「内湖」。昔からあるのは23か所、新しい内湖は10か所。 内湖は、もともと琵琶湖の一部だったのが、波浪や川から運ばれた土砂でせき止められて誕生したものが多いのです。そのため、琵琶湖よりも富栄養で、生まれたばかりの稚魚や稚貝でも育ちやすく、ホンモロコやイケチョウガイをはじめとするさまざまな生きものの棲息を助けてきました。
その、湖底に暮らす生きものも、じつは小さな循環を担っている。
たとえばイケチョウガイ。これは淡水真珠の母貝として知られる二枚貝で、成長すると20センチほどの大きさになる。
この貝は、水質浄化能力を備えている。
イケチョウガイが食べるのは、水中の植物プランクトン。湖水を吸い込んでは植物プランクトンを摂取し、濾過した水を湖に戻す。つまり、イケチョウガイは、それ自身が浄水フィルターの役割を担っているのだ。大きな湖のなかではごくささやかな力だが、湖水に頼りながら、湖水をきれいにして生きている。
ほかにも、琵琶湖には小さくてユニークな存在が集まっている。
この湖にしかいない魚や貝。毎年訪れる渡り鳥。
水辺の植物と、そこに暮らす人たち。などなど。
そのさまざまな動植物が、互いに関わりながら循環をなすケースもある。
TOPIC
6万羽以上の渡り鳥。
琵琶湖には10万羽以上の水鳥が生息し、国際的に重要な湿地として、ラムサール条約に登録されています。 そのうち6万羽が渡り鳥。数千キロを飛んで、琵琶湖にやってきます。夏鳥はツバメやヨシキリ。春になると、子育てのために、東南アジアの島々からやってきます。冬鳥はカモやコハクチョウ。秋の始まりに、シベリアからオホーツクの凍てつく海をわたって。高い空から琵琶湖がキラッと光るのが見え、鳥たちは湖面めがけて高度を下げます。ハローアゲイン、半年ぶり。こうして厳寒から逃れた鳥たちは、魚をとったり羽を休めたりして英気を養い、春の旅立ちを待つのです。
TOPIC
世界中探してもここにしかいない、66種の魚や貝。
琵琶湖では、亜種や変種を含めると66種の固有種が生きています。固有種とは、世界でそこにしかいない、オンリーワンの生きもののこと。数百万年前から暮らしていた生きものや、ここで進化を続けてきた生きものが、いまも暮らしているのです。 たとえば、「琵琶湖の宝石」と呼ばれるビワマスは、43万年前からここにいるのだとか。「琵琶湖の歴史の生き証人」とでもいいたくなるような、堂々たる風格です。 琵琶湖真珠の養殖に使われるイケチョウガイも、琵琶湖固有種の二枚貝。イケチョウガイは、堅田層とよばれる地層から化石が出土しているため、140万〜40万年前、琵琶湖が現在よりも浅く狭い湖だった時代から棲息していたとみられます。
ヨシとその周辺をみてみよう。
ヨシは、琵琶湖や内湖に見られる植物で、水の中でも陸の上でも育つ。
春の雪解けの水や梅雨の時期の雨で琵琶湖の水位が上がる。
水につかったヨシは、湖の生きものたちの子育てを助ける。
バシャバシャと水しぶきをあげているのは、コイやフナ。
ヨシの根元に産卵しているのだ。
ヨシの間では、カイツブリが浮巣を作って子育てをしている。
夏から秋にかけて、ヨシは陸地に根を張って広がっていく。
青々とした群落を作り、4メートル近くまで伸びてくる。
カヤネズミやヨシキリが巣作りをし、巣立ったツバメたちがヨシの群落をねぐらにする。
ヨシは、人間の暮らしも助けてくれる。
スダレやヨシふき屋根の材料にするのだ。
春のお祭りでは、ヨシを束ねた美しく大きな松明が欠かせない。
数百年来、地元のヨシで屋根をふいている寺社もある。
人の手を借りてこそ、ヨシは健やかに生長する。
何もせず放置しておくと、ヨシの群落は消えてしまうのだ。
一年に一度、冬に刈って、地面を焼く。
ヨシ原を焼く炎は、近江の風物詩。焼くことで大地は消毒され、
灰は地面に落ちて肥料となり、次の芽が丈夫に育つ。
こうして、季節が更新されていく。
一本のヨシ、一個のイケチョウガイにできることは、大自然のなかではごくささやかだ。けれども、どんなに小さな存在も、琵琶湖が440万年続くために欠かせなかった。
小さくてユニークな存在が集まり、絶妙なバランスで関わり合いながら、命の循環を続けている。
それが琵琶湖。小さな島にある、生きものたちの祝祭の湖、生命豊かな水たまりだ。
さて、この祝祭の舞台でスポットをあてるべきは、琵琶湖の真珠。
月光のような輝きと多彩なフォルムは、琵琶湖の豊かな循環が生み出す賜物であり、美しく神秘的な宝飾品として、古代より我々の心をとらえて放さない。
次回は、この永遠の一雫、琵琶湖の真珠の物語を。(つづく)